小説『ブレイブ・ストーリー』の読書感想文【運命を変えると願うこと】

ブレイブ・ストーリー

今回の文章は、『ブレイブ・ストーリー』(宮部みゆきさん、角川文庫)の読書感想文を、本の紹介と読書記録を兼ねる形で書いたものです。

※ネタバレはほとんどないように気を付けて書いています。

本はこちら(上・中・下巻に分かれています)

おもしろかったなぁ。

いつもなら、仕事場はこの本、アパートではこの本という風に振り分けて、いつくかの本を平行して少しずつ読むことが多いんですが、この本は持ち歩いてずっと読んでいました。

はまっていたんですね。

2016年6月1日から、6月15日くらいにかけての約2週間。

夢中でした。

『ブレイブ・ストーリー(小説)』の感想~運命を変えると願うこと

人生は、ときに理不尽としか思えないような流れ方をすることがある。

その理不尽としか思えない流れによって窮地に追いやられたとき、人はその流れを、運命を、変えたいと願う。

それは自然なことだろう。

 

『ブレイブ・ストーリー』の主人公である三谷亘(みたにわたる)も同じだ。

小学五年生の三谷亘。

父の三谷明、そして母邦子と三人で暮らすありふれた-と言ったら失礼かもしれないが-少なくとも傍目には、普通の人生。

幼なじみのカッっちゃんとゲームの話題で盛り上がったり、学校で話題になっている幽霊ビルの噂に理屈っぽく反論してみたりする、普通の人生。

そんな亘の普通な人生が、ある日急に-そして理不尽に-音を立てて崩れていく。

そして彼は導かれ、扉の向こうへ、運命を司る女神のいるという「幻界」へと、旅立つ。

ねじ曲げられた運命を変え、元の形に戻すために-

 

こうして始まる亘の旅を、僕らは読むことを通じて疑似体験する。

仲間を得、困難に立ち向かい、頼りなかった小学五年生が成長し、道を切り開いていくその過程。

それはきっと、読みながら共に旅する僕らをも、少なからず成長させてくれるはずだ。

特に、「運命を変える」ということについて、旅を通して亘が気づき、理解していくことは、僕らにとってもとても大切なものであり得ると感じた。
(これから読む人もいるだろうから、どんな気づきなのかはここには書かない。ちなみにそれは単体のメッセージとしては特別なものではないけれど、「旅」を通して体感的に芽生えてこそ意味を持つ種類のものだと思う)

 

個人的な意見だけれど、僕は基本的に、「人生の流れを操ることはできない」と考えている。
(そう自覚的に認識したのは30代になってからだったと思う)

もちろん毎瞬意識的に-主体的に-選択して生きている(少なくともそうしようとしている)し、その結果、ある時には思い通りに人生が進んでいるように思えるときもなくはない。

でも大体のところ、人生は思いがけないこと、つまりは未知の要素だらけで展開されていっているというのが実感だ。

加えて、毎瞬していると言った「主体的な選択」自体も、ある意味では人生の流れによって選択させられた(あるいは「選択が起こった」と表現してもいいかもしれない)ことなのだ、と思っている。

それゆえ僕は、悲観や楽観とは別にして、人生の流れを操ることはできないと、今のところそう考えて生きているわけだ。

しかし、そんな操ることのできない(と思っている)人生の流れの中には、ときに理不尽な局面が(理不尽とまではいかずとも、様々な受け入れがたいイヤな状況が)訪れることが、程度の差こそあれ僕にも-きっと誰もと同じように-ある。

そんなとき、僕もやはり自然に、三谷亘と同じように、その流れを、運命を変えたいと願う。

そう、結局のところ、人生を操ることはできないと思っていたとしても、それでも願いは生まれくるものなのだ。
(だってその願いが生まれることだって、操れはしないのだから)

しかし、そうして生まれる願いとは、果たして何を意味することになっているだろう。

 

願いには様々あり、それは単純にいいとか、悪いとか言えるものではない。
(一応断っておくけれど、今回の文章は「願ってはいけない」などという主旨ではない)

その形態にしても、明確に言葉になる願いがあり、怒りや悲しみといった感情として現れる願いがある。

身体的症状という形を取る願いもあれば、言葉にならない「もがき」のような願いがある。

そんな様々な形態をとって生まれくる願いの意味するところとは、例えば、理不尽な、あるいはイヤな出来事を、なかったことにしたいというものだろうか。

それとも、自分や相手の心(あるいは身体)や、出来事の来し方・行く末を、思い通りに変えたいというものだろうか。

運命を変えることを願うとは、何を願うことになるのか。

そしてもしも、その願いが思い通り叶うとしたら、自分とは、他者とはどういう存在で、生きるとは何であることになるのか。

今回読んだ『ブレイブ・ストーリー』は、僕の印象では、そのような問いに対していろいろな角度から光を当ててくれているように感じた。

 

「願い」についての問いを含め、「運命を変えられる」という『ブレイブ・ストーリー』ならではの設定を疑似体験することは、この本を手にとる人に、僕らの現実としての運命、人生の流れとどう向き合うかということを、深く考えさせるきっかけとなるはずだ。たぶん。

何より僕自身は、この『ブレイブ・ストーリー』を読んで-亘と共に、亘の旅をすることで-いろいろと考えさせられ、そして成長し、強くなった気がしている。

その強さとは、運命や生まれくる願いとどう向き合うかというその認識が、自分なりにより明確になったことで目覚めた、まさにブレイブ、勇気によるものであると言っていいだろう。

思えば、自分がこの自分であるということだって、道理によらないという意味では理不尽なことであるとも言えなくはない。

運命、人生、自分自身。

その理不尽とどう向き合うか。

その答えは、人の、タイミングの、状況の数だけ、つまりは無数にある。

中でも、この物語で小学五年生が引き受けたその答えは、その後の人生を左右しうる、あるいは世界の見え方を一変させうるものであるがゆえに、簡単にたどり着けるものではない。

そこにたどり着くためには、深く己を、世界を見つめ直す物語が必要になる。

長い旅が必要になるのだ。

後書き

読んでいただいてありがとうございました!

『ブレイブ・ストーリー』を読んだきっかけは、実は奥さんが読んでみたいと言い出したからだったんですが、おそらく僕の方が夢中になって楽しんでたんじゃないかな。

仲間になったり出会ったりするキャラクターも素晴らしく、ある種のロールプレイング的なゲーム性も感じられ、とても面白かったです。

ちなみに出てくるキャラクターに関しては、本の表紙の絵がキャラをイメージするのを助けてくれて、最高でした。

この表紙ね。

(↓上巻:三谷亘ともう一人の旅人である芦川美鶴)

(↓中巻:かわいいネコやオオトカゲ?やドラゴン!笑)

(↓下巻:お姉さんもお兄さんもかっこよすぎ)

 

ね?

素晴らしいよね、この絵。

そしてもちろん、ストーリーも素晴らしかった。

いつか娘にも読んでみてほしいな。
(ちなみに娘は、この文章を公開する時点で生後8か月)

でもちょっと、辛い局面は辛すぎるかな、、、

中学二年生くらいのタイミングがいいかもしれない。

いやーどうだろ、早いかな、、、

って過保護か?

こういうのって難しいですよね。

子どものどの時期にどんな本を薦めるか。

まぁ、僕の意見なんか聞かずに、勝手に読んでいくんでしょう笑

自由に読んで、良い本にたくさん出会ってほしいと思います。

この読書記録が役に立つといいんだけど。

コメント

  1. 名無し より:

    参考にさせていただきます

  2. さけみや より:

    あらブレイブストーリーではないですが自分もすごくハマりました成長していく亘の姿がたまらなくグッと来ます♪自分も参考にさせていただきますね!

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