ドアに子ども(5ヶ月)の頭をぶつけてしまいました、、、
不注意で、グリ!って、、、orz
娘よ、ホントにごめん。
父は猛烈に反省しています。
今日はそんなお話です。
ドアに子どもの頭をぶつけた日
夜、お風呂を上がって涼んでいると、二階で寝ている娘の大きな泣き声が聞こえてきた。
急いでかけつけると、妻が娘のおむつを替えていて、(おそらくは寝起きの)娘はあーんあーんと大声で泣きわめいていた。
僕は左手で娘の手をそっと握り、右手で頭をなでながら大泣きしている彼女(娘)をなだめようとする。
が、そのとき、その日の昼間の光景が突然フラッシュバックした。
ドアに頭をぶつけ、泣きわめく娘のイメージ。
それは、時空を越えて僕を過去へと連れ戻す。
不注意を悔やんで落ち込むその過去が、まさに今ここで起こっている現実であるかのように。
昼間、一階での昼食を終えた僕は、娘を抱きかかえて二階に上がっていった。
5か月を過ぎた娘はかなり大きくなっていて、抱きかかえて階段を上り下りするのもかなりの慎重さを必要とする。
特に横に寝かせる形で抱き上げたスタイルの場合、頭と足の先は階段の両サイドすれすれになる。
そのため僕は、ふらつかないよう(ふらついたらアウトだ)、そして目測を誤らぬよう細心の注意を払って階段を上り下りしていて、その日もそうやって気を付けて階段を上り切った。
そう。
そこまではよかった。
二階の部屋の入り口の手前には、猫のトイレを設置してある。
いつもなら、何にも気を取られることなく入り口のドアを開けて(あるいはドアが開いているのを確認して)中に入るのだが、この日はふとそのトイレに注意を奪われた。
このところ猫が病気(尿毒症)をしていたため、トイレの様子が気にかかったのだ。
しかし、その気を取られた一瞬が悲劇を招く。
トイレをちらりと確認し、さあ部屋に入ろうとしたその瞬間、何か鈍い感触がする。
直感的にやばい、と感じた。
視線を娘に戻すと、半開きになっていたドアのふちに、抱きかかえていた娘の頭(左側頭部)がぶつかっている。
勢いよくぶつけたというよりは、ドアに触れてから、グリ!っと押し込むような形になってしまったのだ。
彼女は「ちょっとよくわからないな」という顔をした後、(これまでに見たこともない形相に変化して)大泣きに泣いた。
僕は不注意であった自分に対して怒りで震えながら、ぶつかってしまった娘の左側頭部に手をかざす。
彼女は泣き続け、僕は後悔し続けた。
妻がやってきて、事情を説明する。
この後、妻と娘はお風呂に入る予定だったのだが、赤ちゃんが頭をぶつけたときはかなり注意しなければならず、入浴は見送ることにした。
おっぱいを飲み始め、落ち着いていく娘。
対照的に、僕はどんどんと落ち込んでいった。
もっと気をつけていれば、、、ドアが全開であれば、、、猫のトイレが違う場所にあれば、、、娘を連れてくるのが僕でなければ、、、
怒りや後悔とともに次々と意味のない仮定が浮かんでくるが、何を考えても後の祭り。
目を閉じて深呼吸し、浮かんでくる何もかもを受け入れ(あるいは受け流し)、切り替えて笑顔で娘の左側頭部に手をかざす。
などということはできず。
意気消沈してぐったりしながら娘の頭に手をかざし、少しでも痛みが薄れるよう、重傷にならぬよう祈った。
フラッシュバックしたその光景から我に返り、僕は(申し訳ないという気持ちとともに)娘をなだめ続けた。
おむつ交換が終わり、妻が手を洗いに行っている間、僕は抱きかかえた娘をあやしながら部屋をウロウロする。
まだ泣きそうではあるが、娘は少しだけ機嫌がよくなったようだ。
今日はごめんね、もっと気をつけるからね。
そう語りかけながら、帰ってきた妻に娘を預ける。
娘は一生懸命、妻のおっぱいに吸いついていった。
後書き
読んでいただいてありがとうございました!
ドアに頭をぶつけてからほぼ一か月が経ちました(ぶつけたのは4月の中旬なんです。文章化するのにどんだけかかってるんだ、、、)が、娘は元気にすごしています。
重傷にならなくてよかった、、、
しかし、頭をぶつけたときの娘は本当に大泣きで可哀想でした。
でも今回のことのおかげで(?)、その後はそれまで以上に細心の注意を払ってだっこするようになり、無事に安全に過ごせています。
(妻の方は二度ほど娘の頭をぶつけたりしましたが笑)
いやーしかし、これは後悔してもしきれないなぁ、ほんとに。
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