今回は『クマのあたりまえ』(魚住直子著)の読書感想文です。
児童文学作家の魚住直子さんの作品で、2011年8月に初版発行されたものです。
僕は魚住さんの本を読むのは初めて。
結構僕は文体に慣れるまでに時間がかかるタイプなのかなと思っているんですが、この本はとても読みやすかったです。
(児童文学だから?いやでも『トムと真夜中の庭で』のときは最初苦労したな汗)
7つの短いお話なんですが、とても感じ入るものばかり。
いつか娘(3歳になった!)に薦めたいですね。必読です。これはいい、本当に。
ということで、『クマのあたりまえ』の読書感想文、いきましょう!
※短い物語なのであらすじはほとんど書いていません。安心してご覧ください。
『クマのあたりまえ』の感想文~「僕」を見つけてくれた恩返しに
『クマのあたりまえ』は、七つのショートストーリーズだ。
「べっぴんさん」「ショートカット」「アメンボリース」「朝の花火」「そらの青は」「光る地平線」「クマのあたりまえ」
どの話も深く心に響いた。
でも、何が響いたんだろう?
そで(カバーの折り返し)の部分に「「生きること」と真摯にむきあう動物たちの七つの物語。」とある。
帯には「死んだように生きるのは意味がないと思ったんだ」(クマのあたりまえ本文より)と。
これらの物語を読んで、生きることについて考えたかといえば、おそらくあまり考えていない。
でも、何かが変わった気がする。
思考を通さずに、動物たちの物語が僕の何かを変えた。
何が変わったんだろう?
七つの物語の中で、いちばん心が動いたのは「朝の花火」だった。
それははっきりとわかる。
殺し屋のへびの話。
短い話なので、あらすじを少しでも言えばこれから読む人の楽しみをそぐだろう。
どんな話かも言えない。手に取ってみてほしい。
出会いによって人は変わる。
特に僕は、妻との、そして娘との出会いによって大きく変わった。
あるいは、それまで自分だと思っていた自分は、ほんの一部分でしかなかったということかもしれない。
出会いによって、自分でも知らない一面が引き出される。
「知りたくなかったな」と思うような一面もあれば、喜ばしい一面もある。
どの一面もひっくるめて自分であって、でも、出会いがなければ気づくことのなかった自分だ。
相手がいて初めて気づいた自分。
だからこれは、相手にもらった自分だ。
あなたがいてこその、今のこの僕。
それなら、僕がいるということは、あなたがいるということだ。
同じように僕という存在は、出会う人の何かを引き出し続ける。
それが善きものであればと切に願っている。
殺し屋のへびが見出し合ったもの。
べっぴんさんのチドリが見出し合ったもの。
山をおりたサルが、アメンボとさとみが、鯉のクロエとギンコが、光る地平線のライオンが、死なないものを探し当てたクマが見出し合ったもの。
そうか。
生きるということは、「見出し合う」ということなのかもしれない。
そうやって、善きものを見出し合えたらいい。
素晴らしさを探し当てたい。
「僕」を見つけてもらえた恩返しに。
「あなた」がいることへの恩返しに。
後書き
読んでいただいてありがとうございました!
『クマのあたりまえ』はこちらです。
よい物語だったなぁ、ほんとに。
これは何歳だったら読めるんだろう?
小学生で読めるのかな?難しいような気もするけど、どうなんだろう。
娘には読んでみてほしい1冊です。
前回の感想文は『海辺のカフカ』の読書感想文でしたね。
8月4日から、そうか、3か月以上感想文書けなかったのか、、、
でも本は読んでいました。覚えている限りでは、
ヘルマンヘッセの『シッダールタ』とか(2、3回目ですが、この本はすごい。すごいっす)
谷川俊太郎さんの『夜のミッキーマウス』とか(「詩」っていいな、と思った)
星新一さんの『未来いそっぷ』とか(おもしろかったです。なかなか)
後は精神世界系の
ゲイリーRレナードさんの『神の使者』シリーズ(3部作)とか(自分もやっているということもあり、対話系はおもしろい。いろいろ納得いかないけど笑)
ヨグマタ相川圭子さんの『八正道』や『ヒマラヤ大聖者 愛の般若心経』とか(いいんだけど、ヒマヤラ聖者推しがすごい笑)
アルボムッレ・スマナサーラさんの『ついに悟りをひらく』とか(この人の本を読んでみたくなって、ぱっと手に取ったら最後、深かったです)
こう振り返ると、最近は精神世界系の本もまた読みだしましたね。
そっち系では今は仏教に関心が出てきて、たくさん読みたいなと思っています。
今はアルボムッレ・スマナサーラさんの『怒らないこと』を読んでいます(子育てストレスもあって、切実な感じで笑)。
また感想文書きたいな。
この本まだ読んだことないんです。
どんなだろ?楽しみだ。
善きものを見出したいな。
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