『トムは真夜中の庭で』の読書感想文【幼い頃の不思議な夢と友情】

「トムは真夜中の庭で」の感想

今回は、『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス著)の読書感想文です。

この本と出会ったのは、河合隼雄さんの『こころの読書教室』という本で紹介されていたのを読んだのがきっかけでした。

僕はあまり詳しくないんですが、この本は児童文学の中ではなかなか有名な本みたいですね。

カーネギー賞を受賞しているとか、イギリスの児童文学の代表作であるとか。

その辺は読み終えてから知りました(笑)が、確かに素晴らしかったです。

訳は結構昔の雰囲気の文体で、慣れるまでは読み進めにくかったりしたところもありました。

でも物語後半からはもう夢中で、そんなことは全く関係なかったです。

最後とかホント感動、優しい気持ちになる作品でした。

では前置きはこのくらいにして、『トムは真夜中の庭で』の読書感想文、いきましょう!

※以下の感想ではあらすじを少し紹介してありますが、できるだけネタバレのないよう書いています。

『トムは真夜中の庭で』の感想~幼い頃の不思議な夢と友情

目覚めてもずっと、特別な存在だと感じる。

それくらい、夢の中で誰かと親しくなることがある。

その存在感は不思議なほど長い間心に残り、何か大切なことを伝えているような気がする。

夢という幻想を通したものであっても、そこにはまだ何かつながっている感覚が-あるいはそう信じたがっている気持ちが-ある。

『トムは真夜中の庭で』を読みながら、僕はそういった種類の夢のことを思い出していた。

 

主人公である少年トムは、真夜中、夢のような-あるいは夢よりももっと不思議な-場に導かれる。

バーソロミュー夫人の大きな古時計が13回目の時を告げたとき、トムが開いた扉の向こうにあったのは、そこにあるはずのない美しい庭園だった。

花々が咲き、登りがいのある木の立ち並ぶ、広々とした庭園。

夢中になったトムは毎晩その庭園に出かけて行き、ある日そこでハティという名の少女に出会う。

庭園という場で不思議なつながり方をしたトムとハティ。

二人は楽しく遊びながら、時にけんかをしながらその絆を深めていくのだが-

 

そんなトムとハティの不思議な出会い、そして二人の深まっていく友情は僕に、僕自身が幼い頃に見た夢を思い出させた。

トムとハティのように何度も出会えたわけではないけれど、僕も夢-僕の場合は本当にただの夢だ-の中で、名も知らぬ誰かと親しくなったことがある。

 

きれいな小川のある場所、あるいはその「小川の中」で出会った、妖精のような存在。

僕は彼女(女性的な存在だった)に会いたくて、何度も、夢で彼女に会えるよう願いながら眠りについた。

しかし、「もっと遊びましょう」という彼女の優しい声を聞きながら川に流され、自分の寝床まで戻ってきてしまった夜を最後に、彼女と出会う夢を見ることはなくなってしまった。
(何しろ夢だから、会ったのに覚えていないという可能性は十分にあるけれど)

トムとハティの物語(後半はなかなか切ない展開になっていく)を読んでいると、「もう彼女には会えないのだろう」と子どもながらに悟ったそのときの、幼い僕の抱いた寂しい気持ちがしみじみと思い出され、胸が締め付けられるようだった。

 

他にも、水遊びをする公園で、おもしろい遊びをいくつも一緒に見つけ出した男の子。

その公園は実際にあって、僕はそこで何度もその子と遊んでいたと思っていたのだが、誰に聞いてもその子のことを知らなかった。

それは夜に見た夢というよりも、もしかしたら白昼夢のようなものだったのかもしれない。
(ある意味では、ハティとトムの関係はむしろこちらに近い)

いずれにせよ、その男の子は実在しないらしいという事実を「理解」したとき、僕は公園の水遊び場に立ち尽くした。

そしてやはり、その後彼と会うことはなかった。

 

もう詳しくは思い出せない-というか当時から、思い出せるのはその「存在感」だけで、姿形をはっきりとは思い出せなかった-けれど、夢で親しくなったその子たちは、会えなくなってからも何か大切な存在であるように思えて仕方なかった。

そしてその存在感は、その頃から二十年以上経った今でも残っていて、思い出す度に不思議な感覚-それは決して悪いものじゃない-を与えてくれる。

それはおそらくこの物語の主人公であるトムにとってもそうだろうし、ハティにとっても「そうだった」だろう。
(「そうだった」と書いた意味は、物語を読むと分かるはず。このハティの視点を想像すると、僕はとても切ない気持ちになる)

 

幼い頃の不思議な絆は、思い出すたびにその頃の感覚を-多くは切なさと共に-蘇らせる。

ありありとその頃の感覚に浸っていれば、あるいは夢の中でなら、もう一度出会うこともかなうだろうか。

もしそんな風に出会えたとして、僕らはどんな話をするのだろう。

幼いの頃のように無邪気に笑いあえたなら、どんなにか素敵だろう-

 

『トムは真夜中の庭で』の最後のシーンを優しい気持ちで読み終えながら、僕はそんなことを考えていた。

後書き

読んでいただいてありがとうございました!

いやー読んでよかったです、この本。
(この二人がトムとハティです。絵の雰囲気すごいですよね笑)

幼いころの感覚を思い出せるって、物語の一つの効用でもあるかもしれませんね。

物語が記憶の泉に投げ込まれて、忘れかけていた何かを思い出させてくれるというか。

そうやって思い出した「何か」をもう一度しっかり受け止めると、どこかが癒されていくような不思議な感じにもなったりしてね。

もちろん辛抱強く読まなきゃならない瞬間とかがあることもあるけど、やはり読書っていいな!(今さら笑)

これはいつか娘(現在11か月)にも読んでもらいたい作品でした。

って、前に書いた「小説『ブレイブ・ストーリー』の読書感想文【運命を変えると願うこと】」でもそう言いましたね。

もしかして、読む本全部そう思うんだろうか(笑)

まぁ本心だから仕方ないですね。

こちらは児童文学だし、割と機会がすぐ訪れそうで楽しみです。
(意味を理解するのはもっと大人になってからになるだろうけど)

 

今回の感想では夢がテーマになりましたが、赤ちゃんってどんな夢を見ているんでしょうね。

うちの娘は夢でどこか不思議な世界へ行ったり、、、まだしてないかな?むしろ生まれたばかりの今だからしてるかな?笑

いつも仕事から帰ると、寝相の素晴らしい娘は僕の布団の真ん中までごろんと移動していて、気持ちよさそうに眠っています。

起こしたくないから僕は仕方なく隅っこで固まって寝て、朝になると体が痛かったり、、、orz

 

ちなみに娘はこの一週間ほどで、バイバイをしたり、手をパチパチと叩いたり、スイッチを押して電気をつけたり消したりできるようになりました。

僕らの支えなしではまだ歩けないんですが、その割にめっちゃ歩きたがるから、支えつつ一緒に歩くのでもう大変!

でもきっと、こういう幼い時期の愛情をたくさん受け取った幸せな経験は、夢にも人生にも大きな影響があるんでしょうね。

どんな影響かはわからないけれど、「今」が娘にとってよい影響のある「幼い頃」になることを切に願います。

そして幼い頃の感覚を忘れたときには、この『トムは真夜中の庭で』を読んでもらえるといいな。

その意味では、児童文学って大人にこそ響くものなのかもしれませんね。

僕にとっては本当にそうだった。

いい本に出会えたことに感謝!

 

※ちなみに冒頭で触れた河合隼雄さんの『こころの読書教室』という本もおもしろかったです。
(ブログ始める前に読んだものなので、メモった本のこと以外大半忘れてしまいましたが、またいつか読んだらこちらも感想書きますね!笑)

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